会長挨拶
1928(昭和3)年5月21日、野口英世はアフリカのアクラで、自ら研究していた黄熱に感染、51歳の生涯を閉じました。その年の6月29日、東京丸の内にある日本工業倶楽部での野口博士追悼会で野口英世博士記念会の設立が決められ、翌年には生家の保存と二つの記念碑が建立され、顕彰事業が開始されました。
野口博士の遺志を後世に伝え、青少年の育成に貢献しようと野口英世記念館の設立を念頭に活動を行い、1938(昭和13)年には文部大臣から「財団法人野口英世記念会」の許可を受け、翌年には念願の野口英世記念館を開館することができました。
第二次世界大戦をはさんで、極めて困難な運営を強いられる時期もありましたが、野口博士の不屈の精神を念頭に顕彰活動を継続してきたのです。そうした中、運営も順調に推移し、野口英世記念医学賞並びに奨学金制度も創設、今日に至っています。
2011(平成23)年3月11日の東日本大震災では、野口英世記念館は直接的な被害は少なかったものの、原発事故などでの風評被害で、入館者の大幅な減少に見舞われています。野口博士は「目的・正直・忍耐」の言葉を残しています。どんな苦難にも打ち勝って成功を収めた野口博士の心意気が感じられます。野口博士の遺訓とともに、財団法人になって73年に及ぶ伝統を教訓にこの事態を乗り越え、なお一層努力していきたいと思っています。
財団法人事務局は、すでに2011年の4月より東京から猪苗代に移転、業務を開始しました。これからも今まで同様、皆さまのご支援をよろしくお願い申し上げます。
2011年12月
財団法人野口英世記念会
会長 髙添 一郎
寄付行為(定款)
施設概要

1928年(昭和3)5月21日、野口英世博士が西アフリカで殉職したのち、東京でも追悼会が行われ、その折りに出席した人々により「野口英世博士記念会」を設立する話がまとまりました。
記念会の最初の事業として、翌年に生家の保存と二つの記念碑を建立、そして1938年(昭和13年)には、文部大臣より財団法人の設立が許可され、その翌年の博士の命日には念願の「野口英世記念館」が開館しました。
この間、1928年、30年の二回にわたりロックフェラー医学研究所やメリー夫人から多くの博士の遺品や関係資料が送られてきました。さらに遺族を初めとするいろいろな関係者からも資料が寄せられて、これが所蔵資料の礎をなしています。
1954年(昭和29)には、福島県登録博物館の第1号となり現在に至っています。