野口英世記念館

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世界的医学者・野口清作(英世)は、1876(明治9)年、この家のナンドと呼ばれる部屋で生まれました。この生家は、江戸時代後期、1823(文政6)年にこの場所に建てられました。清作が1歳半の時に落ちてやけどを負った囲炉裏や、上京の際床柱に刻んだ決意文も当時のままに保存されています。

床柱の決意文
床柱の決意文 1896(明治29)年、19歳の英世は、医術開業試験受験のため上京する時、生家の床柱に「志を得ざれば再び此地を踏まず」と刻みました。医者になれなければ生まれ故郷には帰ってこないという強い決意が読み取れます。

記念碑
記念碑 野口英世が亡くなった翌年、生家の庭にこの二つの記念碑が建てられました。一つは1915(大正4)年に英世が帰国した時、母校翁島小学校に贈った文字「忍耐」と猪苗代町長に贈った英語およびフランス語の文字を彫った碑です。もう一つは「野口英世誕生地碑」です。この碑の下には、アメリカのメリー夫人から送られてきた英世の遺髪が納められています。

囲炉裏
囲炉裏 野口英世が1歳半の時にやけどを負ってしまった囲炉裏です。母シカが小川で洗い物をして、わずかに目を離したすきに、この囲炉裏に体全体で落ちてしまいました。左手の指は火傷により、まるで松の木の瘤のように癒着してしまいました。そのほかにも体のあちこちにやけどの跡があったそうです。